教室の右端のトモカちゃん

 中学時代、トモカちゃんという女の子がいた。ほかの子と大きく変わらない背丈でショートヘアの痩せた女の子だった。ぼくは中学3年間、そのトモカちゃんとは1回しか同じクラスになったことがなく、それは中学2年生のときであったが、生徒数が多い中学校だったので1年生のときは顔も名前も知らなかった。
 中学2年生の時の担任は大手予備校にいそうなちょっとイケイケ系というか、たまに見ているこっちが恥ずかしくなるようなテンションで授業をするタイプの教師だった。その担任は学年が変わって初日にいきなり席替えを提案したので、なんだかクラス全体も妙にテンションが高くて、そのせいかその日のクラスの空気は教室の清掃が終わってみんな下校するまでずっとその担任の空気に染まっていたようにおもう。
 その席替えの話になるが、トモカちゃんはその年の4回(実際はもっとあったかもしれないし、もっと少なかったかもしれない)の席替えのうち、すべて右端の真ん中の席を選んだ。5列くらいあった席のうちの前から3列目だ。
 席替えはくじ引きで決まる。1から35ぐらい(35人前後のクラスだった)までの数字が書かれていて、早い番号を引いた生徒から好きな席を選べるシステムだった。人気の席はだいたいの場合、教室を上から見たら凹の字の内側の部分に該当する席で、5列目(最も後ろの席)→4列目(後ろから2列目)と左端(窓側)と右端(廊下側)→真ん中→1列目(最前列)のような順番で埋まっていった。いま振り返れば、授業の内容とは関係ないこと(例えば、次の授業の宿題だったり、携帯をいじったり)をするという理由で後ろに行くことが多いのだけれど、割と頻繁にそういったことをする生徒が早い番号を引いてガッツポーズしながら後ろに行くのを見ていると、なんだかこれから万引きをするひとが監視カメラに正々堂々とアピールしているみたいな感じで滑稽だ。
 なんだかんだぼくも例に漏れずみんなに従って、早い番号のくじを引いた場合は後ろの席にしたり、逆に遅い番号のくじを引いてしまって自分の思い通りにならない席(最前列)になったりしたことがあるが、それで言うとトモカちゃんは結果から推測するに、くじ引きの番号に関係なく(もしかすると4回連続で早い番号のくじを引くことができたかもしれない)自身の希望する席を取ることができたわけである。

 トモカちゃんは傍から見ていると物静かな感じで、他の生徒ととても仲が良かったというわけではなかったとおもう。周囲の生徒と話しているのはほとんど見たことがなかったし、部活をなにかやっていたというわけでもなさそうだったし、物静かというのは何で定義されるのかはひとそれぞれかもしれないけど、あえて一言で言ってしまうとトモカちゃんはとにかく「行動範囲」が狭かった。文字通り、彼女が学校に来てから帰るまでの行動する物理的な範囲のことである。
 ぼくが朝登校すると、すでに右端の前から3列目にはトモカちゃんが座っていて、ぼくもそれなりに登校は早いほうだったが、いつも右端の3列目にはトモカちゃんがいた。少しだけ猫背で髪の毛で隠れているので横からは表情があまり見えなかったけど、そこに座って静かに本を読んでいたり、宿題をやっていたりしていた。小説を読んでいたのか、それとも内心焦って今日の授業の宿題をやっていたのか、来週に控える期末考査の勉強をしていたのか、はたまたキャンパスノートに絵を描いていたのか、それは結局だれにも分からなかった。それがその日の最後の授業が終わるまでずっと続いていてその毎日に繰り返しで、そう考えると、「行動範囲」というよりも、なにをしているのかの「だれにも分からなさ」が積み重なっていった結果として、彼女の物静かな印象が決定づけられていたのかもしれない。
 4回あった席替えのうちの最後の1回(初雪が降って間もない頃だったようにおもう)だけ、ぼくはトモカちゃんの後ろの席に座ったことがある。くじ引きの順番もそこに座った経緯もいまとなっては分からないが、とにかく後ろに座った「その瞬間」のことだけは覚えている。なんだかいまにも握ると消えてしまいそうな小ささと薄さで、目の前にはただ彼女の背中があった。
 横から見ているだけでは分からなかったけど、近くに来て見るとほんとうにそう実感した。他の生徒との景色の一部だったときの他者との相対的な姿では分からなかった、なにか絶対的なものが現前していたし、少なくともぼくはそう錯覚していた。よく「父親の背中が大きく見える」という表現があるけれど、その表現とはちょっと違うような「小さくて薄い」感じだった。そういえば、末期の胃がんの祖父が窓辺のベッドからほとんど残っていないに等しい力を振り絞って立った時に見た、残り少ない「いのちの量」みたいなものが祖父の背中にはあらわれているような気がして、それと同じものをトモカちゃんの背中にも当時の中学生のぼくは感じ取った。そして、その席に座っていたあいだ、彼女が授業のプリントを後ろの席のぼくに後ろ手で渡すたびに、その手の白さと「いのちの量」の少なさが祖父の姿と重なっていくような感じがして、毎回、深刻に近いような申し訳ない気持ちになった。
 それからその席で彼女と話したりしたということはなく、年明けの最初の登校でぼくは自分がトモカちゃんよりも早く登校していることに気が付いて、その日は彼女が登校していなくて、右端の3列目の席はその日から学年が変わるまでずっと空っぽになっていていた。ほんとうに誰も座っていなくて、彼女は小さく薄くなってどこかに行ってしまったと認識するまでトモカちゃんと話すことは結局1度もなかったどころか、彼女の表情を正面から見ることもなく、横から見た猫背ぎみの姿と、小さくて薄くて消えそうな背中だけが記憶に残っている。